こんにちは。
Web集客コンサルタントの江原です。
先日、妻に買い物を頼まれたのですが失敗をしてしまいました。
「米粒麦」を買ってきてと頼まれたのですが、私が買ってきたのはなぜか「押し麦」です。
違うものを買ってきてしまったので完全に私の失敗です。
いい訳はできません。
実のところ、頼まれた時にあるメーカーのものがいいという妻の助言もあり、なぜかそちらばかりが気になってしまいました。
そのメーカーの麦は買ったのですが、肝心な麦の種類を間違えてしまいました。
ところで、失敗というものを皆さんどうお考えでしょうか?
失敗なんて、いやだ。
できるだけ失敗は排除して、毎回成功したいと思いますよね。
当然です。
しかし、私は失敗も必要と考えています。
アリ塚の間抜けアリ
「ニュータイプの時代」 山口周著 のP156にアリ塚の話があります。
アリ塚では働きアリの一匹が外でエサを見つけると、フェロモンを出しながら巣まで帰って仲間の助けを呼び、他のアリは地面につけられたフェロモンをトレースすることでエサまでのルートを知り、巣まで手分けしてエサを運搬するそうです。
したがって、エサの獲得効率を最大化させるカギはフェロモンを正確にトレースできるかという点にありように思われるわけですが、実はそうではありません。
アリ塚には、フェロモンを100%間違い無くトレースできるマジメアリと、ときどき間違えて失敗してしまう間抜けアリがある一定の割りあいでいるそうです。
ここらが重要なのですが、おどろくべきことに、間抜けアリがある程度存在するほうが、エサの持ち帰り効率は中長期的に高まります。
これはどういうことなのでしょうか?
それは、最初にエサを見つけたアリがフェロモンをつけたルートが必ずしもエサとアリ塚の最短ルートになっていない可能性があるからです。
最初にエサを見つけたアリのとったルートが、必ずしも最短ルートでなかった場合、間抜けアリが適度に寄り道したり道を間違えたりすることで、偶然に最短ルートが発見され、他のアリもしルートにつけられたフェロモンが最短ルートでない場合いは、アリ塚全体で非効率な作業をしてしまいます。
しかし、間抜けアリがときどきトレースを間違え失敗することで、偶然に最短ルートが発見され、他のアリもその最短ルートを使うようになり、結果的に「短期的な非効率」が「中長期的な効率」につながるということです。
間抜け人間が必要な理由
欧米人はよく失敗に寛容だと言います。
失敗をしたことのない人より、失敗をしたことがある人のほうが重用されます。
それを聞いた私たち日本人は「なんて寛容な世界などだろう」と関心しますが、合理性の塊のような欧米人。
個人の失敗に対して優しいのではなく、アリ塚に間抜けアリが必要なように、人間社会にも間抜け人間が必要なのです。
失敗は誰でもしたくない
失敗はだれでもしたくないものです。
しかし、失敗は中長期的の効率につばがります。
ですから必ずしも悪いことばかりではありません。
ちなみに、冒頭の私の失敗。
マヌケアリの話で言い訳しようと思いましたが、ちょっと言い訳がましいのでやめました。しかし、心の内では「これでまた仕事の効率が上がったわい」と喜んでいます。
・間抜けアリがいると中長期的に効率があがる
・欧米人が失敗に寛容なのは、優しいのではなく、失敗することで効率があがるから
・失敗を恐れずにチャレンジしよう